山内貴博(YAMAUCHI, Takahiro)

紛争処理・知的財産・IT系弁護士(第一東京弁護士会所属)・弁理士・ニューヨーク州弁護士…

山内貴博(YAMAUCHI, Takahiro)

紛争処理・知的財産・IT系弁護士(第一東京弁護士会所属)・弁理士・ニューヨーク州弁護士。アマチュア無線(無線通信を愛好する法律家協会事務局長)/鉄道(乗り鉄、廃線跡)/登山/淡水魚。 アマチュア無線関係の記事はブログに→ https://7k1bib.wordpress.com/

最近の記事

年頭ご挨拶(2024年)

昨年も大変お世話になり、ありがとうございました。 本業では、1件1件は比較的小さいものの数が非常に多い案件に携わることになり、慌ただしい日々を過ごしました。仕事の質を落とすことなく、如何に業務を効率化できるかという点に意を用いています。 事務所外では、6月に開催された日本工業所有権法学会にて、「一部が国外で行われた行為に対し日本の特許権を及ぼせるか」という近年のホットトピックに関するパネリストの1名を務めました。その後、同じ問題を議論する特許庁主催の有識者会議の委員を務め

    • 父のこと

      2023年10月19日、父を亡くしました。 山内勝博、享年85歳。鹿児島県薩摩郡求名村出身、京都の大学を出て京浜地区の重電メーカーに勤め、主に総務・人事を担当していたようでした。父が実は小説家になりたかったことを初めて知ったのはいつのことだったか、よく覚えていません。 私が大学を卒業し家を出てから、親子関係が断絶していた時期もありました。父が70歳をすぎてから、突然何の縁もゆかりもない長野の佐久で一人暮らしをしたいと言い出したときは、本気で反対をしました。父は「晴釣雨読」

      • お茶の水橋の都電遺構が日本大学船橋キャンパスに保存されました

        思い返せば2019年11月、お茶の水橋の耐震補強工事により、アスファルトの下に眠っていた都電レールが剥がされ始めたことを知り、現地を訪れたのが始まりでした。 奇跡的にほぼ原型のまま残されていた戦前の都電の遺構が壊されていくに忍びなく、思い切って現地事務所と千代田区役所に連絡を取り、その価値を訴えました。他方、Facebook上のグループ「廃線跡・未成線研究会」に集う有志に声をかけて「お茶の水橋都電レール保存会」を結成、保存活動を行うことになりました。 2020年1月に出土

        • 恭賀新春(2023年)

          旧年中も大変お世話になりありがとうございました。 昨年は、徐々に外出や出張の機会も増え、9月には同業者団体の世界大会出席のため、3年ぶりに海外(サンフランシスコ)に行くことができました。趣味の方では、杉並区を拠点とするアマチュア無線クラブの復興に参画、地域との関わりが始まりました。 本年の皆様のご多幸と世界平和をお祈り申し上げます。 2023年 元旦 山内貴博 (カバー写真は、万両の苔玉です)

          謹賀新年(2022年)

          昨年も大変お世話になりました。昨年6月、東京地裁より、営業秘密侵害の被害者を救済する新しい判断(※1)を頂きました。9月には商標権侵害の被害者救済を拡充する新説を唱える論文(※2)を書きました。今年もこの路線を続けていきたいと考えています。 課外活動では、一見レトロな趣味に新しい風を吹き込もうと、アマチュア無線のオンラインイベント(※3)の運営に参加しました。お茶ノ水橋から出土した戦前の都電遺構の保存活動(※4)は、雑誌「東京人」9月号(※5)に取材して頂きました。 今年

          木はすごい

          木はすごい まるで、空に向かって根を生やしているようだ いやいや、夏にはこの枝々で たいようの光をいっぱい浴びるのだ 枝々は根元で一本になって 大地にもぐり 枝々のような根を広げて 水をいっぱいすいこむのだ 木はすごい とても人には真似できない (初出 2021年2月21日 Facebookのタイムライン)

          海外からの模倣品流入の規制強化(論文書きました)

          JCAジャーナル2021年9月号に、「海外からの模倣品流入の規制強化 -令和3年改正法と残された課題-」という小論を書きました。 発刊元の日本商事仲裁協会のご了解をいただき、私の論考だけ一足先にここで公開致します(他の方のご論考を含めた全体は、発刊後一定期間を経過するとウェブサイトで一般公開されるそうです。)。 けっこう思い切って書いたものなので、忌憚なきご批評を賜れば幸いです。 ****** 【問題意識】 模倣品の個人輸入については、従来、個人的家庭的な使用について

          海外からの模倣品流入の規制強化(論文書きました)

          Bedlinog, Wales

          イギリスに渡り、妻子を娘の友人宅に託して、ひとりで文字通りふらふらとウェールズに来ている。ネットで検索して「この辺はどうだろう」と思って探し当てたB&Bは、メインストリートがおそらく1000メートルもないとてもとても小さな村にあったのだが、併設されているパブは意外にも大音響の生演奏が流れ、若者で溢れかえっている。しばし躊躇し、思い切って入ってみると、スタッフは親切だし部屋もとてもキレイである。 どうも東洋人は私ひとりのようであり、邪魔にならないようにレストランの隅っこで、売

          September 11, 2001

          あの日から20年が経ったそうです。 2001年9月初旬、留学先のBostonからNew Yorkに引っ越し、9月10日から研修先の法律事務所での勤務が始まりました。 他の新人弁護士はみなビジネスカジュアルの装いの中、自分だ+けきっちりスーツというaway感をさっそく味わった初日を終え、翌9月11日の朝、自分にあてがわれた執務室で荷物を整理していると、近くの執務室の米国人弁護士が私の部屋に飛び込んできました。 「はじめまして。ところでWorld Trade Centerが